受験は本当に必要なんだろうか。


そんなことを、ふと、何度も思う最近。

 


きっと長女も今、

人生ではじめての受験、という出来事を前に


どうして勉強が必要なのか

どうして、テストを受けないといけないのか

どうして、受験をしないと学校に行けないのか

どうして、生きていくのに試験が必要なのか。

どうして、やりたい事より、勉強をしないといけないのか。

 

楽しく遊ぶことはダメなのか。

 

周りの、成績の良い子、良くない子、自身の成績。

 

そういったものを見聞きしながら、

日々考えているのかもしれない。

 

 

そして、時々言う。

 

あ~。もう、死んでしまいたい。

 

その言葉を初めて聞いた時にはドキリとしたけれど

そんな風に言ってしまいたい何か、があるだけで

本当に死にたい人はそんな顔をしないだろうから

そーかそーか、と聞いては

まだまだ生きたそうな顔だけど?なんて、返したり。

 

そんな娘の日々を見ながら、私も、いろいろ思う。

 

*********

 

私はたまたま、

学ぶこと、知識を得ること、

問題を解くことが好きな子どもだったから、

 

成績の良い子がいい学校に行ける

いい成績をとって、合格した人が希望の学校に行ける

 

という、

当時の当たり前の社会のレールに、ごくごく普通に、何の疑問もなく馴染めたし、

それが当然と思っていたけれど。

 

でも、高校に入って気づいたのは

 

「私はただ、『問題が解けるだけ』なんだ。」

 

ということ。

 

人生をイキイキと生きるために必要なコツや

 

コミュニケーション能力なんて、なくて

 

「勉強はできるけど、生きる賢さは足りないな。」

 

そんなことに気づいてしまって、

なんだか呆然とした記憶がある。

 

 

小学校から、やもすると幼稚園から。

テスト、受験、

私たちはたくさんの採点を受け、

たくさんの合否を受け渡される。

 

否応なしに。

 

そして、たくさん褒められ、たくさんがっかりされる。

そうしていつだって

自分自身をどこかで採点し、値踏みする。

 

そんなことが日本の教育では、当然のこととして繰り返される。

 

そしてその合否は

 

往々にして、国語や数学、理系文系に分類されるもので判断されて

 

人とよく関われること

誰かを喜ばせるのが好きなこと

アーティスティックなこと

おしゃれやメイクが好きなこと

ダンスが上手なこと

 

そういう、数値化できない素晴らしさは、加味されない。

 

義務教育だけで、12年間。

高校も入れたら、15年間。

大学も入れたら、19年間。

 

正誤、合否の繰り返し。

勉強って、学習って、なんだろう。

 

中3にもなれば、みんなの学力がなんとなく見えてきて

できる子、できない子

そんなランク付けがいつの間にか、

静かに、でも確かに、それぞれの中で、されていく。

 

その年月が与える影響って、なんだろう。どうなんだろう。

 

受験、という、


否応なしに目の前に置かれる人生の審判を前に

 

きっと、それをする理由が腑に落ちないまま

向き合っている娘を見ると

なんとも言えない気持ちになるのが、本当のところ。

 

 

いつからか、

受験、頑張れ

そんなことは、思えなくなってきて。

 

合格、不合格。

 

どうして、それが、必要なんでしょうね。

 

学びたいことを学ぶ、

やりたい事を、追い求める

 

それは、ダメなのかな。

ううん、全然、ダメじゃない。

むしろ、いい。はず。

 

 

今頃、子どもみたいな疑問が、

受験生をもつ42歳の私に、湧いてくるのです。

 

受験、合否。

その必要性を、

本当に納得できるように説明できる大人って、いるのかな。

 

きっと、合否判定をする、採点をする大人だって

言えない人のほうが多いんじゃなかろうか。

 

自分の生き方を見つけていく、

才能、可能性多感な子ども時代に

どうしてこんなにたくさんの、採点が、必要なんだろう。

 

生きていくために、

誰かから与えられる採点や合格が必要だ、なんて。

 

もちろん。

 

そういう「基準」があるからこそ、

それを超えたいと、挑戦心がわくのも確かだから

決して悪ではない、必要絶対悪だとは、思わないし

まさに、捉え方だとも、思うのだけど。

 

 

でも。

 

採点、合否を繰り返し社会に出た私たち大人の中には

当たり前のように

今だに自分自身を採点、値踏みしては、

自身の可能性にふたをしたままの人が

ごまんといるような、気がする。

 

「やっても、できないし。」

 

できないって、なんだ。

どこからができて、どこからができないんだ。

 

そこかしこで、

私たちは自分を「基準という妄想」にあわせて

ジャッジし続けている。

 

それは、幸せに生きるために、本当に、必要なの?

 

**************

 

毎週何回と

たくさんのテキストをリュックに詰めて塾に行き、

休みの日も、9時から4時まで塾に通い詰める。

でも

娘が楽しそうに話すのは

「○○くんが眠い~!って先生に言ったら

よし、みんなでお絵かきをしよう!って

黒板に絵を描きまくったんだよ。(笑)」

そんな言葉。

 

コンを詰めて、合格ッ!だけを追う塾でなかったことが

救いだったな。そんなことを思う。

 

 

勉強が好きな子は好きなだけ勉強したらいい。

 

人生の前半戦の前半戦。

勉強が好きになれない子がいて当然。

 

そんな子たちは、やりたい事を好きなだけやったら

いいんじゃないかな。

それでも、生きていける、って実感できる

そんな社会がいいんじゃないかな。

 

 

そんなことを思う私は

立派なおとなになりきれなかった

子どものような大人だろうか。

 

 

メイクとおしゃれが本当に大好きな中学3年生。

この間ららぽーとに行って、

たくさんお店を回った買い物は

本当に本当に、楽しそうで嬉しそうだった長女。

「おしゃれが好き。服が好き!」

いいな、と思う。

おかげで、夫の目が丸くなる金額を費やしてしまった。

メイクをするためなら、いくらでも鏡に向き合ってる。

 

彼女の人生は、どこに向かって行くんだろう。

 


受験、合否という、誰かの審判を前に、

それに飲み込まれることなく、

彼女の幸せな人生を、掴んでほしい。

そのために私は何ができるだろう。

 

 

彼女の心から湧き出る、やりたい気持ち

精一杯、信じて応援したい。

たとえそれが、勉強ではなくても。

そんなことを思う、最近です。

「どうして受験が必要なの?」

わが子からの質問に、どう、答えますか?

 


 

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