認められたいという気持ち。


承認欲求という言葉を聞いたことはあるでしょうか。

 

コーチング、カウンセリングや心理学だけに限らず

心のことを学んだ方でしたら、知っている言葉かも知れません。

 

誰かやなにかに「認められたい」という気持ちのことです。

 

 

 

 

自己承認・・・・

何ができるできないと言った条件をつけることなく

自分で自分のことを、「価値ある存在なのだ」と思えていないと

 

自分以外の他者や何かに対して

満たされない

空っぽのグラスを埋めるかのように

承認を求めてしまう

 

例えば

 

私ってすごいでしょ!と言わんばかりの

着飾った自撮りや

 

少し前なら

 

自分を中心に

クライアントさんをずら~っと並べたキラキラ起業系の写真

 

誰かを見下して接する、マウンティング

 

目に見える数字や評価を、追い求め見せびらかしたり

 

などなど。

 

(もちろん、そうした写真や言動のすべてが承認欲求から、とは限りませんが。)

 

 

あの人は承認欲求のカタマリね、なんて

 

あまりいい言葉として使われないそれ

 

 

心理学やカウンセリング、コーチングなど

人の心に関わるお仕事をされている人の中には

 

 

承認欲求をもつのはいけないこと、ダメなこと

 

そんな風にお感じになっている方ももしかしたら、いるのかも知れません。

 

 

今から数年前、コーチになりたての私も、そんな風に感じていました。

 

自分を満たすことができているのならば

承認欲求なんて出ないだろう、と。

 

 

承認欲求を表現することを、良くないこととした投稿なども

当時はしていたように思います。

 

青かったなぁ。。。。

 

 

コーチングと出会って4年目の今、どう思っているか?というと。

 

 

承認欲求は0=ゼロにはならない。

私たちは皆、誰かやなにかに認められたくて生きている

 

そしてまた

 

承認欲求は、生きるエネルギーにもなる。

 

そりゃ、誰だって、

 

誰かに・・・

好きな人とかにはさ、認められたいよね♡

 

 

そう、思っています。

だからこそ

 

自分で意識できない、

アンコントローラブルな承認欲求に

ただ振り回されるのではなく

 

一人のひととして、承認欲求を持っていることを認め、受け入れ

 

自分の中に、どんな承認欲求があるのか、湧くのかを理解し

自分で取り扱えるようにつとめること

 

 

それこそが大事なんじゃないかな?と思っています。

 

 

認められたいと願う、私が、いる。

 

その自分自身を、受け入れ、対話すること。

 

 

あぁ、認められたいよね。って。

うん、わかるよ、って。

 

 

つい、承認欲求をもつのはいけないこと、と

 

臭いものにフタをするかのように

 

それを見ないように、見えないようにしてしまうことも

 

あるかも知れませんが、

 

そうではなくて。

 

 

まず、あるよね。って、認めちゃう。

 

 

それでいいと、思うのです。

 

 

そう、あるの。

 

誰の中にも。

 

あの人に

この人に

大好きなあの人に。

 

ねぇ、私のこと認めて。

 

っていう、思い。

 

 

そんな、自分の中にある承認欲求を

 

もうね、あるよねーって、どーんと受け入れて

 

満たしてあげればいいのではないかな、と。

 

 

もっと、可愛い服を着て、かわいいって言われたい!

 

そんな気持ちにもし、気付いたのなら。

 

可愛いと思う服を自分にプレゼントして、

鏡の前でニッコリされてみたらいいんじゃないかな。

うん、いいね♪って。

 

もし、誰かに甘えて満たされたいと思うのなら

その相手がいるなら、存分に甘えたらいいと、思うのです。

甘えさせてくれる人に、すなおに言えばいいと思うの。

 

褒めて♡

 

とか

 

ちょっとイイコイイコして、とか

 

今はだだこねたいねん!!とか。(←なにか違う。)

 

 

自分のそうした気持ちを理解することなく

誰彼構わずにそれをぶつけるから

厄介なことになる。

 

 

もちろん、自分自身でそれを満たせたら最高ですが

 

やっぱり、誰かによって満たされたいものって、あると思う。

 

出せる人、受け止めてくれる人をわかってやるぶんには

いいと、思うのです。

 

小さな自分との対話と、

自分のための、小さなワンアクション。

 

時と場合、相手を見極め

自分を満たし、承認欲求を自分の手中に収めていけばいい。

 

そう。

 

振り回されるのではなく、手中に収める。

 

 

自分の本当の気持に、正直になる、ということでも、ありますよね。

 

 

 

 

自分の中にどんな承認欲求があるのかわからない・・・・

 

という方は。

 

紙かノート、ペンを用意して。

 

「人生でやりたいこと」を思い浮かぶままにリストアップ。

 

何個でも何個でも、構いません。

 

100個かけたら200個。

200個かけたら300個。

 

小さいものから大きいものまで。

 

そうやってどんどん書いていく内に

 

表面上の「やりたい・したい・ほしい」が洗い流されていって

 

少しずつ、心の奥底で、誰かやなにかに求めていること

 

言ってほしい言葉や、してほしいこと

 

が出てくるはず

 

 

それこそが、そのひとの中にある

 

認められたい気持ち、のきっかけ。

 

 

 

自分自身との、あたらしくも懐かしい

そして、愛おしい対面に、なると思います。きっと。

 

 

その前に出た、たくさんの願望を

叶えてあげることだって

 

自分の望みや気持ちを認める

立派な、自己承認に、なりますしね♡

 

虹の始まりがみたい、と書いた翌日、虹が出ました(^^)と同時に、数百個になった物欲にも苦笑。

 

 

 

ここ最近、立て続けに

 

望むことを書き出してごらん。

 

と数人に言われることがあって。

 

個数は幅があって、

100個~500個。笑

 

なので、たくさん書き出してみました。

 

300個過ぎたあたりから

 

物欲的なものが減り

 

それでも書き出している内に

 

あるワードばかり、浮かんでくるようになりました。

 

 

そこに、とても大きな私の承認欲求があるんだなあと感じた時。

 

なんだか。

 

一途でかわいいな。

 

そう、思いましたよ(^^)

 

そしてその一方で

 

そう、願ってやまなかった、ということは

 

私はそれが得られない、という前提をもっていたんだな

(だからこそ願う)

 

ということにも、気付いて。

 

思い込み、前提がつくってしまった世界を生きていたんだなー

 

と、つくづく。

 

 

もう、手放してもいいよね。

 

 

 

 

 

承認欲求はあっていい。

手中に、おさめよ。

 


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